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#N.Y.ジャズ三昧No8 /KATO
★内容
 6月10日、N.Y.での最終日です。
 とうとう、これでN.Y.ともおさらばの日になりました。私たちは早めに朝食をとり、チェックアウトもすませてしまいました。すでに、このツアーでは十分元手をとるほど楽しみましたが、最後のあがきとばかり街へ出て行くのでした。

 昨日行った48thストリートの管楽器屋は、9時に開けているというので、行ったのです。そこで、私は1200ドルだけ現金で後はカードでマーク6のテナーを買ってしまいました。けっしてビンテージ物というのではないのですが、ニューヨーカーが使っていただけでも私には良いみやげです。

 そこで、low−Aまでキーのあるあるととか、いぜん日本にも入っていたストレートのあるとなど見せてもらっていました。 それから、 店員は、「これは、オーストラリアの宗教的行事に使う民族楽器だ。」といって1メートル以上もある筒を持ってきて、「吹いてみろ。」というのです。私にはまったく鳴らせませんでしたが、相棒はブーとか、スーとか鳴らしました。「これのモダンバージョンもある。」最初に見せられたのは、木を虫がくり貫いてできた物で、 後から見せられたのは、 ブラスでできているようでした。こりゃあ、そのうちオーストラリアンラッパ隊が現れるかも知れませんね。なにしろ、 「スティーブ・トゥーレのほら貝隊」 だってあるんですから。

 とにかく、ここには相当なミュージシャンが来ていて名前を挙げればきりがないようです。店員は、スタンリー・タレンタインの事や、その兄弟だかの話を盛んにしていました。私は、よく解りませんでしたが。店員のよく知っているミュージシャンが昨日なくなったとかのようでした。「日本人ミュージシャンは?」と聴くと、 大野俊三の事をいっていました。 ということは、マンディーナイトオーケストラの参加者などもけっこう来ているんでしょうね。

 N.Y.の街を歩くと、どこを切ってもジャズが出てきそうな感じで、私は、「若旦那が吉原にいつづけたがる」というような心境が解るような気がしました。町中に流れる音楽は、ファンクやラップのようなのが多いようですが、ここには、無名有名を問わず、ジャズミュージシャンが生活しているという空気が流れています。極言すれば、パーカーがよなよな歩き回った街角を私もうろつけたということがうれしくなってしまいます。

 いよいよ、ツアーの最後に、参加メンバー全員でホテルに程近いカーネギーホールをバックに記念撮影をしました。そして、J.F.K空港へ。

 空港ロビーで座っていると、到着した時にあんなに緊張していた事が嘘のような気がします。「おれは、N.Y.が肌に合うなあ。英語が話せりゃ、東京で金を作ってこっちでくらしたいよ。」「おれは、もっとだだっ広い所の方がすきだなあ。」「でも、昨日のようなめに最初にあってたら、びびって、あんなに行動できたかわからないけれどね。」「あれは、おれがナイキの袋を二つもさげていたからなあ。普段、金もってなさそうに見えても、あれじゃあ、言い逃れはできないさ。」
 「それにしても、このツアーは、おまえのためにあったようなもんじゃないか。」「そうだな、おれがだれより楽しんだって思えるよ。」「これで、ハーレムに行ってたら、最高だ。」「まあ、トラブルに巻き込まれなかったのが一番だよ。」などと、ぼんやり話し合うのでした。